ここもロクの小屋
幸せ者
拍手&コメントありがとうございます。
すごく励みになります。100題制覇できるようにがんばります。
まだ10個も書けてませんが・・・・・・。ぼちぼちやります。
今日で9個めです。
通りがかったのは本当に偶然だった。
「じゃあお母さんはお父さんが泣いているところ見たことあるの?」
しかし、「思わず」とはいえそこで足を止めてしまったので、立ち聞きと責められても仕方がないだろう。
それはわかっていたのだが、カオルはどうしてもその場を立ち去ることができなかった。次の言葉を待つ身体には自然と力が入り、呼吸が止まる。
カオルの緊張を知らないのだから当然というべきか、妻の答えは朗らかなものだった。人差し指を唇の前で立てると「な、い、しょ」と短く答えてにこりと笑った。
答えになっていないなとカオルも思ったくらいなので、当然尋ねた子供は不満そうだった。どっちなのかと口を尖らせて答えをせがむ。
「どっちだと思う?」
「あるんでしょ?」
「あるかもしれないわねえ」
「ないの?」
「ないかもしれないわねえ」
「もーどっちなの!」
子供がどれほど粘っても妻ははぐらかすばかりで、結局明確な答えを与えることはなかった。
カオルは知らず詰めていた息をほうっと吐き出して、歩き出した。その口元がだらしなくゆるむ。あの時のことは、たとえ子供相手でも、そうそう口にしてほしくはなかった。もちろん口外したからといって彼女を責めることなどできない。でもだからこそ、何も言わずにいてくれた彼女に感謝していた。
彼女が何を思って言わなかったのかはわからないが、どんな考えに基づいたものであってもいいとカオルは思った。
しかし、結局カオルは妻にそれを尋ねた。偶然とはいえ立ち聞きしたことにかわりはないので、黙ったままでいるのが後ろめたかったということもある。
だから「すまなかった」とも付け加えたのだが、妻の方は立ち聞きのことはどうとも思わなかったらしく、事も無げに「聞いてたの」と笑って生真面目な夫の謝罪を受け入れた。
そうして、どうして答えてやらなかったのかという問いに対してはこう答えた。
「なんとなく、かな」
「なんとなく?」
「そう、なんとなく」
これも答えになっていないなとカオルは思った。しかし、どうしても答えを引き出してやろうとは思っていなかったので、彼女の答えがこれならこれでいいとも思った。だから重ねて尋ねることはしなかったのだが、妻の言葉には続きがあった。
「話してしまうのはもったいないなって思ったの」
妻はカオルの顔をのぞき込むようにしてふわりと笑った。
「だって、あれは、私とカオルの二人の思い出でしょう?」
微かに頬を染め、わずかに眉尻の下がった彼女の表情に表れたのは「独占欲」だろうか、それともカオルへの「気遣い」だろうか。それはカオルにはわからなかった。
カオルにわかるのは、ただ、自分は幸せな男なのだなということだけだった。
彼女の気持ちがそのどちらであったとしても、カオルに対する「愛情」であることは確かであったから。
009 涙
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奴は今「も」恋する男。幸せの基準が著しく暴落しているのでありますよ(言い訳