ここもロクの小屋
こばなし
サイトで自分の書いたものを人様に読んでいただくようになって、それなりに年数が経ちました。
書いたものは「小説」と言いたいところですが、短いし内容もそれほど立派なものじゃないし、その単語を使うのはおこがましいなあと思いました。
だから「小話」っていう言葉を使ってみたのですが、「こばなし」っていうと、落語のまくらに使われる話のことですよね。手元の辞書には「短い笑い話」って載ってました。
そういうわけで、うちの話はお笑いよりになっているんですよ。
というのは半分だけ本気ですが、お笑いはともかく、落語っていうのが意識にあるのでやっぱり「オチ」は大事だよなあということは常々思っております。思っているからってちゃんと「オチ」がつけられているかっていうとそういうわけじゃないんですけど、「オチ」が思いつかないと書き出せないというのは本当です。目指したオチにならなかったり、結局オチなかったりとかそういうことは多々ありますけども。
でも、「お題」で書くときはそういう「オチ」のプレッシャーから解放されます。お題に対してどういう話を書くかということ、それ自体がオチみたいなもんですからね。落語っていうか、謎かけの気分なのかも。
○○とかけまして、××ととく。
ってやつね。
なので、話自体にオチがなくてもまあいいかって思えるので、書くのが楽なんですよ~。
ね。いいよね。オチがなくても、いいよね。
というわけでオチのない17個目。
――今、ネットの辞書で「こばなし」を引いたら、
「気のきいた短い話。」
って載っていました。
ぎゃー。気のきいた話なんてますますプレッシャーが大きくなるー!!!
宇宙飛行士の訓練生として過ごしていたときに、カオルは自分が満たされているなどと感じたことはなかった。むしろ、いつだって飢えていた。まだ足りない、もっと、もっとと、焦りだけが増していった。
それでも、今のカオルよりはマシだったのだろうか。
今のカオルに焦りはなかった。飢えてもいないと思う。
欲しいものが、目指すものが、もう何もなかったので、飢えるということもなくなったのだ。
負け犬として戻ってきたカオルを、迎えた家族は責めたりはしなかった。ただゆっくり休みなさいとだけ彼らは言った。
蔑みや哀れみがそこにあったのかどうかはわからない。
あったとしてもかまわない。
どんなふうに思われていたとしても、カオルにはどうでもいいことだ。
今のカオルには何もない。
何もないところには何も生まれない。
からっぽのカオルは、もう何も感じない。何かに動かされることはない。
カオルはそう「思って」いた。
「走らないと、遅刻しちゃうよ」
思って、いた。
017 空
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「そら」ならカオルの話かなあ、と思いました。
でも、できたのは「から」の話でした。