ロックでポップな現代版ロミジュリというふれこみで、それは本家も宝塚版もそうだったのですが、今回は設定がさらに現代的になっていて、衣装や舞台装置も近未来ファンタジー風で、携帯電話も登場します。
だからといって不自然ということはなくて、役者さんの雰囲気も現代的だから、別にロミオが携帯の留守電聞いていても、神父様がパソコン使っていても特に違和感は感じませんでした。今回はそういう世界観なんだなと自然に納得出来る感じ。
マーキュシオなんて本当に今時の若者っていう感じで、敵方の舞踏会にまぎれこむお遊びとかいかにもノリだけでやりそうだし。
ただねえ、その現代的でリアルな感じが、悲劇性を薄めてしまうように思えるんですよ。
だって、携帯電話があって、Facebookもある世界で、街からの追放ってそんなに思い詰めるような事態ですか? テレビ電話くらいあるんだろうし、遠距離恋愛上等でしょうが。ジュリエットは箱入りで携帯持っていないという設定ですが、そんなのベンヴォーリオにでも頼んで渡してしまえばいいじゃないですかねえ。
ジュリエットは本当に箱入りで、16歳って設定だけど14歳くらいに見えるので、ロミオに会えないなんてって嘆くのもわかるけど、ロミオはしっかりしろよと言いたくなってしまいます。バーで飲んだくれている場合じゃないですよ。マーキュシオの死とか自分が殺人犯になったとか、飲んだくれる理由は充分あるけど、でもうちひしがれている一番の理由はジュリエットと引き裂かれたことなんでしょ? そこはそんなに嘆かなくても通信手段発達してるんだし、悲観しなくてもいいんじゃないの。
最後に二人が死んでしまうすれちがいにしてもそう。
ジュリエットが薬で眠っているだけだということを、神父様はロミオにメールで伝えるのですが、ロミオの携帯が壊れていてロミオはそのメールを読めないんです。
でも神父様「ロミオから返信はないけど」ってそれなら電話して!?
ベンヴォーリオはジュリエットの死を伝えようとして電話するんですよ。で、通じないからわざわざ出かけていって直接伝える。そりゃそうでしょうよ。そんな重要事項ちゃんと伝えないと。
それなのに神父様はメールだけして返信もないのにほったらかしって、おい!
ジュリエットが本当は死んでないって知っているかどうかの余裕の差だろうとは思いますがそれにしてもねえ。
神父様がしっかりしていれば、二人は死ななくてもよかったんじゃね? ってもやもやする。
原作や宝塚版だと、運命の流れに逆らいきれなかった悲劇という構図が浮かび上がるのに、もうちょっとどうにかすればどうにかなったんじゃないのって思いが先に出てきてしまって、見ていても最後盛り上がれませんでした。
宝塚版はとくに主役二人がきらきらしていて純粋なので、胸に迫るものがあったんですけども。
舞台の中で両家の争いの理由は語られない。でも理由なんかわからなくなっていても、争いは起こるし、それに疑問を持つ人(両家夫人やティボルトも)がいてもなかなか止まらず、結局決定的な悲劇が起こるまで誰もどうすることもできなかった。そうした人間の愚かさがやるせなく胸に迫ってきて、感動したのですが。
携帯電話などのツールが発達しても人間の本質は変わらないとか、道具は道具でしかなく万能ではないとか、そうしたことを伝えたかったのかもしれませんけど、それならもっと大胆に脚本変えたらよかったのにと思ってしまいました。
そのほか色々、現代的でリアルな分気になったところ。
携帯電話は気にならないけど、Facebookは完全にコネタなので、いらないと思う。誰も笑っていなかったし。
衣装はどうしてああなった。ダンサーたくさん使っているのに、ごちゃごちゃして見づらい。特に幕開きのシーンで「死」が埋もれてどこにいるかわからなくなってた。
せめて、モンタギューの色を黒白ではなく、青にしておけば、もう少しわかりやすくなっただろうに。デザインも、もう少しなんとか……。
ティボルトが痛い。宝塚と違ってちゃんと男性が演じている分リーダーとして存在感はあるけど、大の男が、自分がこうなったのは「大人達が悪い」とか言うなよと思ってしまう。ヅカ版は未熟さが見えていたので、大人のせいだと思いながらも、つっぱってたり、ジュリエットを奪ったロミオを殺してやるとか暴走するのもありかなあと思えたけど。
ヅカ版より「実の叔母とあやしい」のもリアルな分、ある意味ダメ男ぶりが増していて、もっとしっかりしなさいよと言いたくなった。
ロミオもちょっと。留守電に女の子からのメッセージがいっぱい入ってるのが生々しい。まだ見ぬ恋人を夢見てると言っても、やることやってんだろうなあという感じがして生々しい。それでいきなり「僕は恐い」とか歌い出すので、すごいへたれっぽい。このままじゃだめだとなんとなくわかっているけど、仲間とはそれなりに盛り上がって一緒に遊ぶし、女の子ともつきあうしって、流されてるだけだなこの男。そのうえ、追放後もバーで飲んだくれとか、いいところがない。
ってうんまあ、原作のロミオ自体がへたれなので、正しいロミオ像なのかもしれないけど、幕開けの争いのシーンに一人だけ加わっていなかったり、舞踏会へ潜り込むのもお目付役としてだったり、やがて来る破滅を予感していたり、この舞台のロミオは仲間の若者とは違う処にいるという設定なのに、それがあまり伝わってこないなあと。
その他大勢と立ち位置いっしょだよね。
普通の子が普通に恋をしただけなのに、こんなことになってしまったという意味では充分悲劇なのか。
女の子は「親が決めた人と結婚する」って古風すぎる。いとことは結婚できない掟ってのも説得力がない。
色々愚痴りましたが、要するに、ロミジュリを現代風にした意味が私には消化しきれませんでしたということです。
出演者の歌とか、楽しめる要素はあったけど、歌聞くだけならこの作品じゃなくてもいいし。「この作品」を見て良かったとは思えませんでした。がっかり。