『エリカ』 小池真理子
本当は『墓地を見おろす家』というのを探していたのですが、図書館の棚になかったので代わりに借りた本。
エリカというのは主人公の名前で、40歳独身のキャリアウーマン。彼女の親友が急逝してそのお葬式に逝くところから始まります。
親友はダブル不倫をしている恋人がいて、エリカもその相手のことは知っていたので、親友の死をその不倫相手に連絡し、不倫相手に一緒に葬儀に出てほしいと頼まれる。一人では行きづらい事情がわかるので、一緒に行ったところ、その不倫相手はエリカに気のあるそぶりをみせる。親友が亡くなったばかりだというのに、なんて無神経なのかと、初めのうちは不快に思っていたエリカだったが、次第に求められることが心地よくなってきて……
てなわけで、結局エリカもその相手にはまるのですが、小池真理子さんはその辺の心理を書かせたら本当にうまいですね。なんて奴だと呆れたり、遊び人のよく使う手だと冷めた視線で男を見ている一方で、ちやほやされることを嬉しく思ってしまったりそれがないと寂しくなったりしてしまう、そういう自分で制御できなくなる感情の波とかうねりとか、エリカが恋にはまっていく過程が詳細に描写されてます。それでいて「愛してる」と言われた瞬間にそこにある不実に気づいて一気に冷めたりとか、冷めてるのに恋を手放せないでもがいたりとか、本当にリアル。
でも、何がそんなにリアルなのかといえば、それは恋ではなくて孤独の描写です。エリカがどうしてこんなくだらない恋にはまってそして手放せないのかを詳細に書かれれば書かれるほど、彼女の孤独さが迫ってきます。不倫相手とはまた別に青年が一人出てきて、彼は常識で考えればとんでもないことをするのですが、エリカが彼を断罪せずに別の対応を選ぶくだりも、読んでいたら何か冷たいものが忍び込んできます。それも刺すような冷たさじゃなくて、お風呂のお湯がすっかり冷めてしまったようなそんな気の抜けたわびしい冷たさ。
主人公の心情が迫ってくるという点で、非常に優れた小説なのですが、それだけにもういいやと思ってしまいました。『anego』他、色々読んだけれど、もう寂しい女性の話はお腹一杯。しばらくはいいや……。
『誘惑のトレモロ』 アイリス・ジョハンセン
シャーリィ・ジャクスンを探したけれどなかったので、その辺から適当に抜いたジョハンセン。「トレモロ」というタイトルが気になったというのもある。毎日楽器を弾いていた頃は、トレモロとも毎日つきあっていたもので。
で、読んでみたのですが、トレモロ全然関係なかった(笑)!
原題は「An Unexpected Song」。トレモロってどこから来たんだ!
主人公は歌手と作曲家なので、音楽は話にからむけど、歌唱法にも「トレモロ」ってあるのかしら。歌を習ったことはないから知らないけど。でも本文にはトレモロ、かけらも出てこないんだが。
コナンの映画「戦慄の楽譜(フルスコア)」みたいなものだろうか。フルスコアってわざわざ読ませたけど、総譜なんて話には全然関係ないんだ雰囲気と語呂だけなんだぜっていうアレ。
多分、恋心のゆらぎとかうねりとかを「トレモロ」という言葉に託してみましたってことなんだろうな。
さて、話の方ですが、「誘惑の」ってついてるだけあって、情熱的なロマンス小説でした。
初めて読んだ作家なのですが、ジョハンセンは、人気のロマンス小説家で作品数も多く、翻訳もたくさんでているんだそうです。
ブロードウェイで成功している人気の作曲家が、新作のミュージカルのヒロインを探していて、見つけたのがヒロイン。単に役にぴったりの女優というだけではなくて、女性としてもヒロインに惹かれた作曲家は、仕事でも恋の面でも猛烈アタック。ただ二人には、それぞれ恋に突っ走れない事情があって……。
という話なんですが、とにもかくにも、めくるめく恋模様。二人とも一目会ったその日から状態なので、障害に悩みつつも燃えあがる思いは誰にも止められず、最後はもちろんハッピーエンド。
例えるなら、「ベッドシーンありのディズニー映画」。セックスシーンをダンスにでも置き換えれば、ディズニーのシンデレラや白雪姫を見ているのと雰囲気は同じ。展開も登場人物の心の動きも、予想がついてその予想を外すことなく進んで終わりました。
翻訳物だからだと思いますが、心理描写は『エリカ』の方が細やかでひたれます。こちらは直接的な表現が多いのでひたるというより表面をなでるような感覚でさくさく読めてしまいます。でも今は、それがかえって楽でした。
『撓田村事件 iの遠近法的倒錯』 小川勝己
ミステリーを紹介した新聞の書評でお薦めされていたので借りた本。
田舎の山村で起きた連続殺人事件は村の伝承がからんだり、何十年も前の事件が関係していたりと、横溝正史を思わせるものになっています。また、その事件の真相が何度もひっくり返ります。これが真相だと思われたその後で、実はこうだったと。探偵役の推理ですら、一部は外れます。
でも、この話の本質はミステリーではないと敢えて断言。
これは、主人公の中学生智明の大人への一歩を描いた青春小説です。
中学最後の年、彼に起こった友情と恋と大人への視線の変化。殺人事件はそこに投げ込まれた石みたいなもの。それが起こした波紋が、変化のきっかけとなるだけで、本の主題からすれば殺人事件はおまけみたいなもの。むしろ、事件のごちゃごちゃしたところとか、被害者が彼と同じ中学生だということからくるやりきれなさが邪魔になるくらい。
智明くんだけを追ってよむと、いっそさわやかと言ってもいい小説でした。
『キャリー』 スティーヴン・キング
これも新聞の書評で、ホラーとかミステリーとか読みたいなら、素人はとりあえずキング読んでおけって紹介されていたので、素直にそれに従ってみました。
手を触れずにものを動かすことの出来る能力をもつ少女、キャリーの引き起こした重大事件。その一部始終と、そこに至るまでの要因を書いています。
表現の手法に工夫があって、出来事を時系列順に三人称で普通に描写する中に、事件に関わった人の証言や、事件に関する調査報告書、事件に関する記事などを引用して、未来から事件を過去のものとして振り返る視点を差し込んでいます。
矢沢あいの『NANA』で、物語の中に懐古談のようなモノローグを入れているのと似ています。
それによって、まだ事件が起こる前から、やがてくる破局が示されるので、キャリーの幸せも束の間のものとして痛々しく思いながら読みすすむことになります。
キャリーは、宗教によって非常に狭い視野と心しか持たない母親に虐待されながら育ち、そのため友達もできず、いじめにあい、非常においつめられた状況にいます。その中、とあるできごとをきっかけに、一人のクラスメートがキャリーにある機会を与えます。その機会はキャリーが狭い世界から出るきっかけになるはずだったけれど、別のクラスメートの悪意がそれを台無しにしてしまう。そうして一気に精神のバランスを崩したキャリーの能力が暴走してしまうことになります。
表紙の絵が非常におどろおどろしいものなので、キャリーはどれほど恐ろしい存在なのかと、びくびくしながら読んだのですが、キャリーは念動能力を持っていると言うことの他は、普通の女の子でした。
力が暴走するくだりなどでは、彼女は母親や自分に対する悪意に満ちた世界に対し、怒りと恨みを爆発させるのですが、そこですら、彼女に対して感じるのは恐れではなくて悲しみが先に立ちます。彼女の怒りが理不尽なものではないからでしょう。彼女が望んだのは、ただ普通に、自由に生きたいということだけだったのに。
キャリーは子供だったので無力でした。彼女のクラスメートは同じく子供だったので、無力でそして残酷でした。それが引き起こした結末が悲しく胸に迫る本でした。
『クリスティーン』 スティーヴン・キング
同じくキングの作品。
デニスの親友アーニーはさえない男の子。いじめっ子にすぐ目をつけられるにきび面の負け犬。そんな彼が高校の最終学年を前にした夏休み、クリスティーンに一目惚れ。アーニーはデニスと両親の反対を押し切り、彼女にお金と時間と、そして彼自身をも注ぎ込んだ……。
キャリーと比べると、こっちの方が怖いです。クリスティーンには、一人の男の怨念がとりついていて、それがアーニーを飲み込んでいくのですが、キャリーと違ってその男にはあまり同情できるところがありませんし、話がつうじないタイプなので、怖さが増します。怨念なので当然かもしれませんが、一方的に自分だけの都合と理解でことを起こすので、こちらからも理解ができないという、殺人鬼としては一般的な怖さといえるかもしれません。ラストのクリスティーンとの対決シーンも、手に汗握る迫力です。それにラストの一文は、ホラーものによくある、これで全てが終わったわけじゃないという形になっています。
それでも、この話を読んで、一番胸に残るのは、クリスティーンや怨念に対する恐怖ではなく、失われたデニスとアーニーとの友情に対する痛みでした。
デニスはその傍らで、彼の一目惚れから全てを見届けることになります。また、デニスはクリスティーンからアーニーを救おうとし、半分だけそれに成功します。この話は、22歳になったデニスが、一連の出来事を振り返るという形で始まります。
彼の一人称で進む前半は、正直に言って少々だるいところがありました。全てに対する説明が詳しすぎて飽きるのです。アーニーと行ったピザ屋さんがどんな内装でどんな雰囲気でそこで出すピザがどういうもので、というような些細なことまで非常に細かく書かれるので、読んでいるとだんだんそんなことどうでもいいって飛ばしてしまいたくなるのです。アーニーとの子供時代のエピソードも、これでもかとつぎこまれます。
けれど、最後まで読むと、そうした些細な日常を貴重に思うデニスの気持ちが理解できるので、冗長にも思える箇所にも意味があったのだと納得できるようになります。
ので、この本をこれから読まれる方は、どのエピソードも飛ばすことなく拾い上げていってくださいませ。私は結構飛ばしてしまいました。
『仏教はじめの一歩』 ひろさちや
この前読んだ仏教の入門本が非常に興味深かったので、続いて借りてみた本。
前読んだ本は、釈迦を「最初に悟りに到達し、その方法を私たちに示してくれる先達」として捉えていましたが、こちらの本はさらに「私たちが救いに到達できるよう見守ってくれている庇護者」として捉えているように思いました。前に読んだ方は釈迦は人間でしたけど、こちらの本では「神様」に近い位置づけになっているようでした。仏を信じて、すがれば救われると。
けれど、仏の救いというものは、そう単純にはいきません。神様に近いといっても、合格祈願をすれば合格させてくれるというようなものではないのだそうです。
仏の救いの視線は、全ての生き物に及びます。仏は区別も差別もしないからです。誰か一人を合格させたりすれば、誰か一人が落ちることになってしまうので、それは仏にとっての救いにはなりません。合格させてと願われたからといって、その願いをかなえたりはしない。仏の救いとは、合格したら合格した状況で、不合格なら不合格の状況で、それぞれの立場で「幸せに生きられるように願い、導く」ことなのだとか。
大学に落ちても、あるいは重い病気になったとしても、それは仏がその人を見捨てたということではない。その状況で生きよというのが仏の意志であり、その仏の判断を疑わずに受け入れることが、仏を信じるということなのだそうです。その仏の判断が間違っているとか正しいなんて人間にはわからない。どんな運命も仏を信じて受け入れろということでした。
上の運命論もそうなのですが、前に読んだ本に比べて、この本の論旨は納得しがたいところも多かったのですが、それでも基本的な考え方は前の本と同じだったので、これが仏教の基本なのかなというおぼろげな形はなんとなくですが感じました。
また別の人が書いた本も読んでみようと思います。
少年陰陽師『数多のおそれをぬぐい去れ』 結城光流
本屋さんで新刊をみかけたときに、そういえば前に出たやつをまだ途中までしか読んでいなかったと気づいて読みました。
すっかり話も忘れていたので、最初から全部読みました。
新章スタート! 今度は伊勢神宮とか齋の宮がからむみたいです。いよいよ天照のご登場となるんでしょうか。伊勢にはじいさまも彰子ちゃんも行くみたいなので、大移動ですね。楽しみです。
でも、ちょっと読んでいて疲れました。なんていうか、色々書きすぎじゃないかなーと思いました。そんな一つ一つの場面を詳細に描写しなくてもいいんじゃないでしょうかね。
たとえばじいさまが帝に呼ばれていくところでも、わざわざ使者が安倍邸に到着したところから始めて、一緒に帝のところへ行く道行きも書いて、帝の前に出たところで十二神将の突っ込みをはさんで、さらに帝とその他の人との話で16ページって使いすぎでは?
もちろん伏線とか色々あるんでしょうけど、実際この辺りは伏線なんだろうなーって思う箇所もあったんですが、それにしても長いんじゃないか?
一事が万事この調子なので、読んでいてだるいというのが正直なところ。時間的な隙間が全然ないから、妄想挟む隙もないし、二次創作書きとしてはつまんない(笑)。作者の頭にあるキャラのセリフを全部書く必要はないと思うんですけどね。ばっさり削って一気に場面転換でもいいのになーと思う箇所多数。
長く続いているシリーズだから、それぞれのキャラにファンがついているんだろうし、なるべく多くのキャラに出番作ってくれてるのは作者のサービスなんだろうに、こんなふうに言ったら罰当たりかしら。
罰当たりついでにもう一つ。新章のスタートだからなんでしょうけど、思わせぶりの場面が多すぎるのも、ちょっとだるかった。新章なんですから、これから大変なことがまた起こるんだろうなというのは読者もわかっているので、そこまでやらなくても……と思ってしまった。今度の敵もワケアリだってのもわかりました。帝の姫が大変だってのもわかりました。だからもっとさっくりやってくださいと思ってしまうのは、私がせっかちだからなんでしょうね。もっとじっくり、作者の提供してくれている雰囲気にひたるべきなんでしょうね。罰当たりだわ、ほんと。
わかってても、なんだかなーって思ってしまうのもまたファン心理なんですよ。それだけ期待しているということです。ファンはどこまでもわがままですから、作者って大変ですね。
新章二巻を読んだ友人の情報によると、まだ伊勢に行ってないとのこと。
この巻の終わりでは、もうすぐにでも行かなくちゃって雰囲気だったのに、出発できないほどの大事件が起こるのでしょうか。
妹に早く続きを買ってきてってお願いしようと思います。