ホワイトデーは望美にとって、一年でも一、二位を争うくらい楽しみな一日にあたる。律儀な有川兄弟が必ずお返しを用意してくれるからだ。
将臣は年によって色々な物をくれたが、譲からのお返しはいつも手作りのお菓子だった。譲の腕が上がるにつれて年々手の込んだ物になっていくそのお返しは絶品で、もちろん今年も楽しみには違いないのだが、望美はそれとは別に密かに期待していることがあった。
お菓子でもいいけれど。もちろんお菓子は嬉しいのだけれど。
でも今年からは、いつもよりもっと特別な日にしてほしい。
贅沢とは知りつつも、どうしてもそんな願いを抱いてしまう。
そんなわけで、お返しですと渡されたケーキの箱を前に、望美は思わずがっかりした顔をしてしまいそうになり、あわてて笑顔に切り替えた。このケーキもきっとほっぺたが落ちるほどおいしいに違いないのに、がっかりなんてしたら天罰が当たってしまう。
「ありがとう、譲くん。お茶入れるから一緒に食べようね」
幼なじみという期間が長かったせいか、彼は自分の心の動きに聡い。どれほどの笑顔を作ってもがっかりしかけたことに気づかれてしまいそうで、冷や冷やしながら譲を見上げた望美だったが、すぐにその首を傾げることになった。
「ああ、はい。ありがとうございます」
返ってきた譲の反応がそんなおざなりなものだったからだ。一応顔は望美の方を向いているものの、目は望美を見ていない。せわしなく動く眼鏡の奥の瞳が、開きかけては閉じるその口元が、何か気にかかることがあるのだと言っている。
自分だって幼なじみという期間が長かったのだから、彼の心の動きに鈍くはない。
――ここで聡いと言い切れないのが心許ない限りだが、ともかく望美はこれは追及すべき事柄だと判断した。
譲は隠し事があるわけではないだろう。おそらく、何か言いたいことがあるのに、言い出すきっかけがつかめずにいるのだ。
やはり絶対とは言い切れない望美だったが、譲が話を切り出しやすいように助け船を出すことにした。いつも譲に助けられてばかりいるけれど、これは年長者としての余裕と配慮を示すいいチャンスだ。
「譲くん?」
「は、はい!?」
ただ呼んだだけなのに、譲の声が裏返った。何か他のことに気を取られていた証拠だ。
自分が一緒にいるのに何がそんなに気になるのかと、望美は少しばかり面白くない。しかしそこは咎めないことにする。それこそが年長者の余裕というものだ。
だから望美はにっこりと笑って、ただこう尋ねた。
「なあに、譲くん?」
「え? なにって、なんですか?」
「だって、何か言いたそうにしてるから」
唐突な望美の問いに最初はとまどっていた譲も、望美がそう続けると言葉につまった。軽く目を見開いて、気圧されたようにやや後ずさる。そうして、いや、だの、その、だのよくわからないことをつぶやいては意味もなく眼鏡を直したりして、その態度は不審なことこの上ない。
これは自分の見込み違いだったろうか。気になっていることがあるというのは間違いないが、言いたいことではなくて言いたくないことがあるのだろうか。
それはそれで非常に気になる。しかし年長者としての余裕を示すことにしたからには、譲が困るのを承知で追いつめるような真似はあまりよろしくない。後ろ髪をむんずとわしづかみにされて力一杯ひっぱられるような思いだったが、望美は追及を断念した。
「ごめんね。いいの。何もないならいいよ」
じゃあお茶をいれようかとケーキの箱を置いて、その場を去りかけた望美の腕を譲がつかんだ。
「え?」
「あ」
望美も驚いたが、譲も自分の行動に驚いたようだ。慌てて望美の腕を放し、すみませんと謝ってきた。
「え、と……、別に謝らなくていいけど、どうしたの?」
譲に向き直り、その顔を見上げて望美は譲の言葉を待った。
譲の顔は赤く染まり、その口元を手で隠して、それでもしばらく逡巡していた。しかし望美はせかすことをせずに辛抱強く待ち続けた。これはやはり言いたいことがあるのだろうと思ったからだ。
一方的ににらめっこでもしているような、その奇妙な状態がどれほど続いただろうか。顔の赤みが一向にひかない譲はようやく口元から手を放した。そうしてまるで叱られた子供がいたずらを告白するかのようにおずおずと口を開いた。
「その、お返しは……ケーキだけじゃないんです」
今までどこに隠していたのか、譲が手のひらに載るくらいの小さな包みを取り出したとき、望美の鼓動がとくんと跳ねた。どうぞと譲がそれを望美の手に載せてくれたときには、口元がどうしようもなくゆがんでしまって笑い出しそうになるのを必死で抑えた。
その中味を譲は言わなかったが、これはきっと、いや絶対期待してもいいはずだ。
「開けてもいい?」
そう尋ねたときにはすでに箱を包むリボンに手がかかっていた。けれど一応、譲がうなずくまではそれをほどくのは我慢した。譲の承諾が得られると同時にそれを一気にほどく。一瞬でも早く中味が見たくて望美は急いで包みをはがした。けれど包装紙をびりびりと破いてしまうのは嫌だったので、なかなか思うように進まない。
ようやくたどり着いた中味には、やはり期待を裏切られなかった。
もう一つのお返しは銀色のリング。望美の誕生石が一粒、その真ん中で小さな光を放っていた。
「可愛い! ありがとう、譲くん」
今度こそ望美は心からの笑顔を譲に向けた。今はがっかりした顔なんて、どれだけ意識しても作れそうにない。あまりに嬉しくて跳びはねてしまいそうだったが、それはさすがに子供っぽいので我慢した。その代わり、贈られた指輪を前から後ろから、見上げたり見下ろしたりして、その輝きを楽しんだ。
「喜んでもらえて、良かった」
そんな望美の様子に、譲も相好を崩した。ようやく顔の赤みも引き、目を細めて望美のはしゃぎぶりを見守る。
輝きを堪能し満足した望美は、指輪を箱から取り出すと、譲にそれを示すようにして口を開いた。
「ね、譲くん」
「なんですか?」
「つけてもいいよね」
「え」
指輪を選んだからには、当然身につけて欲しくて贈ったのだろうに、譲はすぐに答えを返さなかった。駄目だとはもちろん言わないが、それがどの指に合うものなのかということも言ってこない。
望美の方はしかし、譲の様子にかまわなかった。返事を待たずにさっさと、左手の薬指に、自分の手でそれをはめてしまった。
「ぴったりだよ」
左手を譲に向けて望美は笑う。手のひらと手の甲を交互に譲に見せながら、望美はもう笑い出すのをこらえたりはしなかった。
「そうですか、よかった」
せっかく顔色が戻ったところだったのに、譲はまたも首まで赤く染めることになった。火照って熱を持った首に手をやってどうにか望美に言葉を返す。喜んでもらえて譲も嬉しいのだが、譲の胸をよぎるのは「かなわないな」という小さな敗北感にも似た感情。それは幸福感を損なう物ではないけれど、自然譲の笑みはぎこちないものになる。
望美は譲の複雑な心境に気づかなかった。やはり望美は譲の心の動きに、鈍くはないが聡くもない。だから望美はふと浮かんだ疑問をそのまま譲にぶつけた。
「どうして、私の欲しいものがわかったの?」
すると譲は目を丸くした。そして首に手を当てたまま苦笑をこぼし、そういうわけではありませんと言った。
「別に、わかったわけじゃないんです」
「じゃあ、どうして?」
自分の左手から譲に視線を戻して、望美は首を傾げた。
譲は望美の視線を受け止めなかった。ふいっと横を向いて眼鏡を直すと、その体勢のまま言った。
「俺が、あげたかっただけです」
と。
いつものお菓子と、いつもよりもっと特別なものと。
その両方を手に入れた望美の今年のホワイトデーは、充分すぎるほど幸福なものとなった。
――ホワイトデーはとっくに終わりましたね……。
まあ、いいや。うちはそもそも季節感のないサイトだし。
冬休みに入る時期に京に飛んで、迷宮でクリスマス。
うちの望美ちゃんの誕生日は6月ですから、譲から最初にプレゼントをもらうのは、ホワイトデーになるなーなんてことからできた話。
指輪は、「どの指にしたらいい?」って聞いたりとか、「譲くん、つけてv」っておねだりしたりとか、そういうのもいいんですが、うちの子はそんな回りくどいことしないよなと思いました。うちの二人のロマンス度があがるのは、いつ頃になるでしょうね。