ここもロクの小屋
オペラ座の怪人
この前「ファントム」は「オペラ座の怪人」の宝塚版だと書きましたが、あれは間違いではありませんが正確でもありませんでした。
ガストン・ルルーの書いた原作があって、
A・ロイド・ウェーバーがミュージカル化した英国ミュージカルが「オペラ座の怪人」。こちらが四季版。
アーサー・コピット(脚本)とモーリー・イェストン(作詞・作曲)がミュージカル化したアメリカ製ミュージカルが「ファントム」で、これが私の見た宝塚版です。
元になっているお話は同じでも、ミュージカルとしては全然別のものなんですね。
四季のオペラ座見た人が、宝塚でもやってるんだ~ってファントム見たら、話は全然違うし、知ってる曲は出てこないしでびっくりという事態になってしまいますね。いいかげんな書き方してすみませんでした。
そういうことなら、四季版も見なくちゃと思っていたのですが、運のいいことにちょうどBSで「オペラ座の怪人」をやっていました。舞台映像ではなく映画なのですが、話の筋と音楽はわかりますしね。
で、見てどう思ったかですが、オペラ座もしくは宝塚に興味のある方は続きをどうぞ。
なんで宝塚がオペラ座ではなくてファントムを選んだのかはよくわかりました。
ウェーバーのオペラ座だと、ほんとに怪人が怪人でしかない。
悲しい生い立ちにゆがんでしまった怪人と、怪人に見込まれてしまったクリスティーヌを中心にした、オペラ座の出来事を描くという感じですかね。
怪人は中心人物だけど、主人公とは言えない雰囲気です。きっぱり悪役だし。オペラ座を舞台にした群像劇で悪役という役目を果たしているのであって、彼の物語とは言えません。
心理劇として物語を楽しむミュージカルじゃないんだなという印象でした。
なんていうんだろ、一大スペクタクルかな。どーんと押し出しの強い音楽と場面とをすごーいって楽しむ舞台。シャンデリア落ちとか派手な演出がまさにこのミュージカルの象徴といえるのかも。怪人のテーマ(フィギュアスケートの高橋選手が使ったあれ)も、どどーんとかばーんとかそういうイメージだもんね。「出たー!」っていう。
それに対してファントムは、怪人を一人の人間として描いている。
醜い顔のせいで人目を避け、オペラ座の地下でひっそりと生きることを強いられた青年エリックの孤独と、ようやく出会えた愛の物語。
主演の春野さんも、怪人としてのおどろおどろしい雰囲気ではなく、孤独な青年の寂しさを前面に出した演技をされています。漂う雰囲気がノーブルで、笑顔も温かくて、クリスティーヌを本当に大事に思っているということが伝わってくる。ウェーバー版だと怪人はひたすら自分の思いを押し付けるだけですが、ファントムのエリックは行動には強引なところがあっても、まずクリスティーヌのことを考えて、だからこその行動という形。
エリックは怪人と呼ばれていても人間で、クリスティーヌやキャリエールに対して愛情やいたわりをもっていて、だからこそクリスティーヌもキャリエールもエリックを愛している。ファントムの怪人は愛し愛される一人の人間なわけです。
なので、キャリエールと二人銀橋でお互いの思いを伝え合うシーンや、クリスティーヌが仮面をとって醜い顔に口付けをするシーンが胸に迫る。
オペラ座の怪人とファントムは全然方向性の違うミュージカルなんですね。
で、宝塚でやるなら、そりゃあ主人公がちゃんと主人公しているファントムになるだろうなと、両方見て思いました。トップスターに、ただの悪役やらせるわけにはいくまいて。
それから、音楽もファントムの方が宝塚向けという気がする。「オペラ座」はけっこうなんでもありで、バラエティにとんでいるのですが、「ファントム」は19世紀のオペラ座というのをかなり意識していて、オペラ調で統一されているんですよね。で、これが宝塚の娘役さんにぴたりとはまる。クリスティーヌが音楽の天使だぞというのに説得力がうまれます。
オペラ座だと、クリスティーヌの歌ってオペラじゃないですよね。カルロッタがバリバリのオペラなのに、クリスティーヌは現代風の地声で歌うから、あれ?ってなっちゃう。それが悪いというわけではないけども。「オペラ座」は「冒険活劇」でスペクタクルだから、音楽も色々あるほうが退屈しなくていいと思うし。
ただ、宝塚で歌うんなら「ファントム」の音楽のほうがいいよねという話。さすが宝塚は自分のことをよくわかっている(笑)
「オペラ座の怪人」の方も好きになったので、今度は舞台で見てみたいものです。